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東京地方裁判所 昭和30年(行)58号 判決

原告 鄭泰運

被告 東京入国管理事務所主任審査官

主文

被告が昭和三十年五月二十四日原告に対してした退去強制令書発付処分中送還先を朝鮮と指定した部分はこれを取り消す。

原告その余の請求はこれを棄却する。

訴訟費用は被告の負担とする。

事実

原告訴訟代理人は、第一次の請求として、「被告が昭和三十年五月二十四日原告に対してした退去強制令書発付処分はこれを取消す。訴訟費用は被告の負担とする。」との判決を求め、その請求の原因として、「被告は昭和三十年五月二十四日原告に対し退去強制令書を発付した。しかしてその理由とするところは、原告が昭和二十五年三月二日本邦に不法人国したというにある。然し乍ら原告は昭和七年日本に渡来して以後引き続き岐阜県、大阪市、横浜市、東京都、茨城県、埼玉県、栃木県等に居住していたし、日本の小学校、中学校を卒業し関西大学にも在学していたことがある。もつとも昭和十八年から十九年にかけて一時朝鮮に帰つていたことはあるが、終戦後は本邦外に出たことはなく、したがつてまた不法に本邦に入国したことはないから、本件退去強制令書発付処分は事実の誤認に基きなされたものであつて違法であるから取り消されるべきものである。」と述べ、被告の主張に対し、その主張事実中被告の主張するような内容の刑事々件判決があつて確定していることは認めるが、その余は争うと答え、

予備的請求として主文第一、三項同旨の判決を求め、その請求の原因として次のとおり述べた。

一、原告は朝鮮咸鏡南道北青郡北青邑仲坪里一、二三八番地に本籍を有する朝鮮人であるところ、右本籍地はいわゆる北鮮にあつて朝鮮民主々義人民共和国の領域に属するから、原告は同国の国籍を有するのである。然るに被告は昭和三十年五月二十四日原告に対し退去強制令書を発付し、その送還先として「朝鮮」と指定した。ところで、右朝鮮とは韓国を指称する趣旨であるが、出入国管理令(以下単に管理令という)第五十三条第一項により原告がその国籍の属する国として送還されるべき国は、次に述べるように朝鮮民主々義人民共和国であつて、韓国ではないから、右送還先の指定は同法条に違反するので本件退去強制令書発付処分中送還先を朝鮮と指定した部分の取消を求める。

(一)  一、九四三年(昭和十八年)十一月二十七日米、英、中国によつて発せられたいわゆるカイロ宣言により朝鮮の独立が予定されその後右宣言が一、九四五年七月二十六日発せられたいわゆるポツダム宣言に吸収され同年八月十四日日本が同宣言を無条件に受諾したのでここに朝鮮の独立が確立された。ただ、朝鮮には終戦の際作戦の実施上北緯三八度線を境としてその以北にソヴイエト同盟軍が同月二十日、その以南にアメリカ軍が同年九月八日それぞれ進駐した。これよりさき、同年八月十七日朝鮮においては建国準備委員会が組織され同月二十二日にはその組織が一そう拡大されて呂運享がその委員長に選ばれるとともに全朝鮮の各地方に右委員会の支部が結成され、日本の旧統治機関の接収が始められた。そしてソヴイエト同盟軍は右委員会を朝鮮人民の権力機関として認め、日本の朝鮮における資産である工業、鉱山、鉄道、通信、銀行、学校校、病院、土地等の多くを右委員会に譲渡した。その後同年十二月モスクワで開催された外相会議で、朝鮮を独立国家とする目的で臨時政府を樹立することおよび当面の緊急問題を審議するため朝鮮に駐留する米、ソ両軍司令部代表による会議を招集することなどを内容とする協定が成立したので、右協定に基いて一、九四六年一月から五月まで米、ソ両軍の代表者の会談が京城で行われたが、いかなる団体を朝鮮人の代表と認めるかということで両者の間に意見が対立し翌一、九四七年十月二十二日には無期限休会となつてしまつた。この間南朝鮮では前記呂運享が京城で暗殺されまた各所における朝鮮人の独立運動に対する弾圧ははげしかつた。そして翌一、九四八年五月アメリカ軍と李承晩とは南朝鮮各党派の反対を押しきり朝鮮人の意見に反して南朝鮮のみの単独選挙を施行し、右選挙の登録開始に対する反対運動は全鮮にわたつて行われたのを李承晩は武力によつて弾圧し、八月十五日に大韓民国政府の樹立を宣言した。一方、その間朝鮮民主統一戦線は一、九四八年三月に朝鮮の統一と独立のために南北連席会議を提唱し、その提唱は南朝鮮を含めて全朝鮮の政党、大衆団体から迎えられ、同年四月十九日平壤で開催された右会議には南朝鮮の右翼指導者とみられていた金九、金奎植らも参加するほどの全民族的規模のものであつた。そして同年八月二十五日南北朝鮮の指導者の協議に基き朝鮮民主々義人民共和国最高人民会議代議員の選挙が全朝鮮にわたつて行われた結果同年九月二日に朝鮮民主々義人民共和国の成立が宣言されたのである。以上のようないきさつによればカイロ宣言、ポツダム宣言の原則に則つて朝鮮の独立を達成し、その結果として誕生した国家は朝鮮民主々義人民共和国であつていわゆる大韓民国政府はアメリカ軍事権力と李承晩一派とがほしいまゝに朝鮮人の独立運動を弾圧してつくりあけた政権というべく朝鮮人を代表しおよび朝鮮の独立を担うものではない。

(二)  右のように朝鮮半島およびその付属島嶼をその領土とし、朝鮮人をその国民とする国家は朝鮮民主々義人民共和国であり原告の国籍は同国にある。

右のとおり述べ、被告の主張に対し次のとおり述べた。

一、被告の主張は争う。

二、管理令第五十三条は訓示的規定と解すべきではない。その理由は次のとおりである。

国家が外国人の出入国を管理する権利は領土主権に基く国家固有の権利ではあるが、現在ではその管理に関する裁量も無制限ではあり得ない。例えば、被告主張の国際法学会が採択した国際規則も「人道と正義により各国はこの権利の行使にあたり自己の安寧と両立する範囲において領土に上陸しようとし又は既に在留する外国人の権利と自由とを尊重しなければならないことを考慮し」として右国際規則を一貫するものは外国人の出入国管理に関する基準を外国人の権利と自由との尊重という観点から打ち出そうとする努力であつたということができる。そして外国人の権利と自由とを尊重するという原則は平等主義の発展、国際連合憲章、世界人権宣言などによつてもはや確立された国際的原則である。勿論、退去強制による送還先の指定については各国ともその立法例が異ることは考えられることであるが、アメリカ合衆国における立法が第一次的に本人の指定する国に行うことになつていることは被退去者の権利と自由とをできるだけ尊重しようという趣旨によるものであること明らかである。すなわち、出入国管理に関する民主的、保障的立法が送還先の指定については例外となることは理解できないし、被退去者の立場にたつてみれば送還される場所によつてその者の権利と自由とが大いに左右されることは明らかであるからその権利と自由とを尊重するという基本精神は当然に送還先の指定についても及ぶものと解すべきである。

被告はまた、国際規則が「ただ公権をもつて国境に連行することによつて足りる」としていると主張するのは誤りである。同規則第二二条は「国家は退去命令に違反した者を裁判所に対する訴追および刑に服さしめその満了とともに、これを公権をもつて国境に連行することにより退去命令の効果を確保することができる」と規定しているのであつて、公権により国外退去処分を強制的に執行することができる旨を定めているのである。

また、被告は送還先である受入国につき照会、調査をする必要があると主張するが、いかなる国も自国民の送還をうけとる義務があるという国際法上の確立された原則の存在を忘却した主張である。勿論、当該国が自国民と認めぬことはあり得るが、それは例外のことであつて、問題の原則的な理解を左右するものではあり得ない。しかして管理令第五十三条は、国家には自国民を引き取る義務があるという原則を前提として第一次的には国籍又は市民権の属する国を送還先として指定すべき旨を第一項に定め、例外的な事象たとえば当該国が被送還者の国籍を否定したりするような場合には被送還者の希望により第二項所定の国を選択させ、これをもつて送還先を指定すべき旨を同項に定めているのであるから退去強制令書発付当時送還先を指定して差し支えはないし、実際も可能なことであり、もし被送還者の本国が引取を拒絶した場合には当初の送還先の指定処分を取り消したうえ改めて同条第二項による指定処分を行えばよいわけである。そして前述のように送還先を指定するについても被送還者の権利と自由とは十分に尊重されなければならないから、その観点からいえば管理令第五十三条は送還先を指定するに当つて準拠すべき根拠を示した規定であり、管理令第五十一条同施行規則第三十八条が退去強制令書に送還先を記入すべきことを要求したのはその際に指定処分が行われることを定めたものと解すべきである。

なお、管理令第五十三条第一項が「送還しなければならない」との字句を使用していないということは、同条が訓示的規定であるかどうかに影響はない。

三、仮りに管理令第五十三条が訓示的規定であるとしても、被送還者がその送還先と指定された国に送還されるならば著しい肉体的、精神的、物質的苦痛をうけるであろうことが明らかな場合にことさらにその者をその国に送還しようとして指定処分を行うことは被送還者の権利と自由とを保護するゆえんでなく、送還先を指定するにつき裁量権の濫用による違法な指定処分というべきである。原告は朝鮮民主々義人民共和国の公民であつて、日本においても祖国のためにする活動を志していたものであるから、原告がもし敵対的立場にある大韓民国に送られるならば原告が重刑に処せられることは明らかであるから、右に述べた理由から本件退去強制令書発付処分中送還先を「朝鮮」と指定した部分は違法で取り消されるべきものである。

なお、原告につき右のような事情が存するにもかゝわらず、もし被告主張のように管理令第五十三条が訓示的規定で違法の問題は生じないとするならば、送還先の指定をするについての基準は全く失われ、被送還者の利益もまた全くかえりみられないこととなる。

右のように述べた。(立証省略)

被告指定代理人は、第一次の請求につき、「原告の請求を棄却する。訴訟費用は原告の負担とする。」との判決を求め、答弁として「原告主張事実中被告が原告に対し原告主張の日その主張のような理由で退去強制令書を発付したこと、原告が昭和七年日本に渡米したこと、日本の小、中学校を卒業し関西大学にも在学していたことがあることは認めるが、その余は争う。原告は昭和二十一年十二月頃朝鮮に渡り引き続き同地に滞在した後昭和二十五年二月二十八日釜山より小型発動機船に乗船し、同年三月二日未明佐賀県東唐津付近に上陸したのであるから、原告主張のように事実誤認はない。したがつて、本件退去強制令書発付処分にはかしはないのでその取消を求める原告の請求は失当である。なお、原告につき右事実による不法入国を認めた刑事判決もすでに確定している」と述べ、

予備的請求について、「原告の請求を棄却する。訴訟費用は原告の負担とする。」との判決を求め、答弁として次のとおり述べた。

一、原告主張事実中原告が原告主張の地に本籍を有する朝鮮人であること、被告が原告主張の日原告に対し退去強制令書を発付したこと、その令書の送還先のらんに「朝鮮」と記入したことは認めるが、その余は争う。原告の主張は次のとおりその理由がない。

二、退去強制令書発付処分によつて送還先が確定されるものではなく、令書発付処分の内容として送還先の指定という処分は存在しないから、原告の主張はその前提において誤つている。

(一)  なるほど退去強制令書の記載事項について出入国管理令施行規則第三十八条の引用する様式には執行方法および送還先のらんを設けているけれどもそのことは次のような事情を総合してみると退去強制令書発付処分の内容として執行方法および送還先の指定をも含むものとは考えられない。

1、送還先を指定するためには予め指定しようとする国に対し被送還者を受けとるかどうか照会してその回答を得る必要がる。なぜなら、国は条約及び領土割譲等の制約を受ける場合のほかは常に強制送還される自国民を収容する義務があるが、被送還者を自国民と認めない以上これを自国に収容する義務はなく、しかも自国民かどうかはその国が国籍に関する法律に基いて判断することがらであり自国民でない者を収容するかどうかの裁量は全く自由であるとするのが国際法上の一般原則であるから、日本が一方的に外国人を特定国に送還すると決定してみてもその国の協力がない以上その執行が不可能となるからであり、回答のないうちに送達先を指定しても全く意味をなさない。

2、右に述べた照会については、通常、短期間ではその結果を知ることができない。

3、一方、退去強制令書の発付の時期については、管理令第四十七条ないし第四十九条の定めるところによれば容疑者が入国審査官の認定または特別審理官の判定に服し或は法務大臣から異議申立を理由なしとする裁決の通知があれば、すみやかに発付しなければならないし、又、実際上も仮放免された者に対する関係では直ちに発付しなければならぬ場合も少くない。

(二)  それであるから、退去強制令書発付処分と執行方法および送還先の指定とはこれを同時には行い得ない性質のものであつて、主任審査官がそれらの事項を記入するのはたんに行政庁内における上級者の方針ないし見解を執行官に適確に知らせて調査、照会をすることを命ずるという事務処理上の便法にしかすぎないというべきである。なお、それらの事項は退去強制令書の必要的記載事項ではないしその記載は効力要件でもなく、行政処分の内容として外部的に何らの効力をも生ぜしめるものではない。

故に本件退去強制令書中送還先のらんに「朝鮮」と記入されているけれども、これによつて原告の送還先が確定されたわけのものではない。

三、仮りに原告に対し送還先指定の行政処分がなされたと解すべきであるとしても、管理令第五十三条の規定に違反するということだけでは違法の問題は生じない。すなわち、

(一)  管理令第五十三条は「送還されるものとする」との表現を使い、「送還しなければならない」とは規定されていないので、被送還者のためにその他位を保障した規定とは速断し難く、条文の体裁上送還先について一定の基準を示すための訓示規定にすぎないというべきである。このことは次の理由からも合理的である。

1、当該国家によつて不法入国又はその存留が国家に有害であると判断された場合の退去強制の方法については各国はその取扱を異にし、その政治的、経済的、地理的諸条件に従い独自の立場から実施している。そして、その送還先を定めるについては欧米諸国でも特殊の例外を除きすべてこれを法律に規定するところもなく、国際慣行も存在しない現状であり、西暦一、八九二年ジユネーブにおいて開催された国際法学会が外国人の人国及び退去強制につき国際規制を確立するため採択した条文にも退去強制の正当事由について詳細に定め乍ら送還先については直接ふれず、ただ公権をもつて国境に連行することによつて足りるとされているほどで、退去強制の正当事由とその執行方法、送還先とは国際法上も異つたものとして論じられ、世界各国の取扱も両者に区別を設けている現状である。

2、管理令第五十三条の規定を、被送者は必ずその母国に、もしそれが不可能であるならば第二次的に本人の希望によつてその他の国に送還しなければならない趣旨を定めたものと解釈すると、却つて被送還者に不利な場合も少なくない。たとえば、イギリス国々籍者の場合本人が中華民国を希望した場合、管理令第五十三条を強行規定としてイギリス国えの送還を固執すれば送還国は財政上の負担を招くとともに被送還者の希望に副い得ないことになる。故にもし、管理令第五十三条が被送還者の地位と権利とを保障する規定であるならば送還先は第一次的には本人の希望する国と立法された筈である。また送還について管理令第五十三条第二項による場合でも相手国が必ずしも受け入れるとは限らないし、同条第一項の場合ですら相手国に対し受け入れることを強制する手段はないから、被送還者に対し、ある国への送還を保障するような立法をする筈がない。もし送還先について被送還者の地位と権利とを保障した規定であるとすれば、それはいわゆる自繩自縛の立法であつて、本来国際関係や被送還者の事情等を勘案して個々の場合に最も合理的な適宜の措置をとるべき性質の送還事務を円滑に実施することは不可能となる。

(二)  それであるから、管理令第五十三条第一項は被送還者の母国はこれを収容する義務がある旨の国際法上の原則から、同条第二項は許される限り被送還者の便宜を考慮することが望ましいとする人道上の理由から、いずれも行政庁に対し一応の基準を示すために規定されたものにすぎず、被送還者の地位を直接保障し或は何らかの権利を附与したものと考えることはできない。所轄庁は右基準に従い国家の政治的、財政的諸事情と被送還者の利害とを調整、勘案し乍ら自由にこれを決定すべく、仮りに右基準に違反しても特段の事情のない限り被送還者の法律上の地位が害されることはないから、違法の問題は生じない。

四、また、仮りに原告に対する送還先指定の行政処分が存在するとしても管理令第五十三条に規定する「国」は朝鮮半島においては一つしか存在しないところ、本件退去強制令書には「朝鮮」と記載されていてその唯一の国が特定されているのであるから、右指定処分は形式的および内容的に何ら違法の点はない。その理由は次のとおりである。

(一)  終戦後の朝鮮半島の特異な政治情勢から、現在、同半島には異つた二つの政府がそれぞれ「大韓民国」と「朝鮮民主々義人民共和国」の異つた国号を掲げて朝鮮半島を二分し対峙してはいるが、両政府はいずれもその国号と主権が法的には朝鮮半島全部に及ぶものとの建前をとつてたがいに自己が唯一の正統政府であると主張しているし、国際連合および世界各国は右二つの政府のうちの何れか一方のみを承認するという形態をとつているのであるから、現在国際法上朝鮮における国家は一つであるというべく、これに対し正統政府であると称する政府が現実には二つあり、各政府がそれぞれ唯一の国家を前記のような異つた国号で呼んでいるにすぎない。

(二)  ところで管理令第五十三条に定める「国」とは国家の代表機関としての政府という概念とは異る。このことは同条が「国籍又は市民権の存する国」との表現を使用していることからも窺い知ることができる。そして同条の解釈については一般国際法原理を無視することはできず、常に一般国際情勢と国の外交政策に即してなされねばならない。けだし、退去強制手続においては外交接渉による送還事務の完遂が最大の目的であるのでその執行の実効性を期する必要上および国の外交政策に与える影響が大であるからである。

(三)  右の理由から、管理令第五十三条所定の「国」は朝鮮半島には一つしか存在しない。そして本件退去強制令書中送還先のらんの「朝鮮」との記載は朝鮮半島に存在する一つの国を特定していることが客観的に明白である。なお被告が原告を受け入れる機関として「大韓民国政府」を選ぶか「朝鮮民主々義人民共和国政府府」を選択するかは今後の執行官の裁量に委ねられた問題で、本件における送還先指定処分の関知するところではないというべきである。(立証省略)

理由

一、第一次の請求について。

被告が原告に対し、原告主張の日、原告が昭和二十五年三月二日本邦に不法入国したとの理由で退去強制令書を発付したこと、原告が昭和七年日本に渡来したことおよび日本の小、中学校を卒業し関西大学にも在学したことがあることは当事者間に争がない。

原告は、本邦に不法入国したことはないと主張するのに対し、被告は、原告は昭和二十一年十二月頃朝鮮に渡り引き続き同地に滞在した後昭和二十五年二月二十八日釜山より小型発動機船に乗船し、同年三月二日未明佐賀県東唐津付近に上陸して不法に本邦に入国したと主張するところ、右事実による不法入国を認めた刑事判決が原告につき存在しかつ右判決が確定していることは当事者間に争がないのみならず、成立に争のない乙第九号証の一、二(いずれも原告の検察官に対する供述調書)の記載によれば、原告も検察官に対し右被告の主張に沿う事実を述べていることが認められるので、このことからすれば原告は昭和二十五年三月二日本邦に不法入国したものと推認することができる。もつとも、成立に争のない乙第十号証(原告の被告人質問調書)の記載によれば原告は原告が右不法入国の事実を認めたのは検察官に自白を強要された結果である趣旨の供述をしているが、右事実を認めたことがそのような事由に基くものであることを認め得る証拠は存在しないから、同号証の存在は前記認定を左右するに至らない。また、証人金侑河の供述および原本の存在および成立に争のない乙第十二号証(金侑河の証人尋問調書)の記載によれば、昭和二十五年一月には原告が日本にいたごとく考え得なくはないが、なお同証人の供述中には右日時は宇都宮地方裁判所において証人として証言(同裁判所に起訴された原告の前記不法入国に関する被告事件公判における証言であつて乙第十二号証はその際の証人尋問調書であることは成立に争のない乙第一、七号証および弁論の全趣旨により明らかである。)する直前、同裁判所で会つた原告から聞いたものである旨の供述部分があるので、同証人の証言により直ちに原告が昭和二十五年一月には日本にいたと認めることはできないし、前記認定に反する原告本人尋問の結果は直ちに措信することができず、原本の存在および成立に争のない乙第十四号証の記載はいまだ前記認定を左右するに至らない。しかして他に前記認定を覆えすに足りる証拠はないから、原告が本邦に不法入国したことはないことを前提として本件退去強制令書発付処分の取消を求める原告の第一次の請求は、結局、理由がない。

二、予備的請求について。

原告が朝鮮咸鏡南道北青郡北青邑仲坪里一、二三八番地に本籍を有する朝鮮人であること、被告が昭和三十年五月二十四日原告に対し退去強制令書を発付したことおよび被告が右令書中その送還先のらんに「朝鮮」と記入したことは当事者間に争がない。

(一)  被告は、退去強制令書発付処分の内容として送還先の指定という処分は存在しないと主張する。

管理令第一条は管理令が本邦に入出国するすべての人につき公正な管理を目的とする旨規定しており退去強制に関してもその例外ではあり得ないこと勿論であるところ、そのことは具体的には被送還者の権利ないし自由を尊重し、保護しようとの趣旨であると解することができ、管理令自体が出入国の条件、資格及び審査手続、退去強制の条件及び手続等を規定し、これを出入国の管理事務に携わる当該係官の準拠すべき法規範と定めていること自体もそのことを物語るものであると同時に他面当該係官が出入国管理の事務を遂行するに当つては右の規定に拘束されこれに従うべき管理令上の義務を有するものというべきであり、被送還者の立場からすれば送還される国の如何によりその権利ないし自由が著しく害される場合のあることもあるのでそれらのことを彼此併せ考えれば、本邦から退去することを強制された外国人は送還先の指定につきこれに対応する法律上の利益を有するものというべく、送還先の指定は行政処分の性質を帯有するものと解するのを相当とする。管理令第五十一条、出入国管理令施行規則第三十八条が退去強制令書中に送還先を記入すべきことを要求(同条の引用する第四十三号様式参照)しているのは、右の趣旨に出たものということができる。

被告は送還先の指定が令書の発布と同時には行い得ない性質のものであり、また送還先と指定すべき国が被送還者の引取を拒むことによつて送還の執行が不可能となるおそれがあるから事前に指定しても意味がない旨述べるけれども、もともと管理令第五十三条第二項は「前項の国に送還することができないときは」と規定して、送還先と指定した国に送還することができない場合のあることを予想しているところからみて、同条第一項により指定した国が被送還者の引取を拒絶し送還事務を執行することができない場合には改めて同条第二項による指定を行えは足るのであるから、一旦指定した送還先を変更し得ないものと解する必要もなく、また指定前に相手国に対して引取の諾否を照会する必要もないものというべく、被告の述べる右のようなことからは送還先の指定を行政処分と解すべき妨げとはならない。

それのみならず出入国管理令施行規則第三十八条は退去強制令書に送還先の記載を要すると定めており同規則は管理令第五十一条による委任政令であつて同条の内容を補充し管理令と同様の効力を有すること多言を要しないのであるから、これらの関係から判断すると送還先については退去強制令書の必要的記載事項であり、かつその記載は令書の効力発生要件であつて、その記載を欠くかその記載内容が不確定の場合には令書は管理令第五十一条の要件を欠き違法な令書といわざるを得ない(尤もそのかしは送還先の指定についてのみ存し、令書発付処分の効力を左右せしめないと解する)。

以上説示したように、送還先の指定は退去強制令書の発布という行政処分の一要件であり、その指定に関するかしの有無は被送還者の権利に影響を及ぼすものであつて、従つて送還先の指定が単に行政庁内部における方針ないし見解を示した事務処理上の便法ないし手段にすぎないというような軽微な事項とする見解はとうてい採用することができない。管理令第五十三条は退去強制をうける者はその者の国籍又は市民権の属するもしくはその他の「国」に送還されると定めているところ、もし本件令書に送還先と指定した「朝鮮」の表現がどのような「国」を意味するかを理解し、確定することができないとするならば、本件令書は出入国管理令施行規則第三十八条したがつて管理令第五十一条の要件を欠き方式違背の違法が存することを免れないというべく原告としては、本件令書発付処分中送還先の指定の部分のみについてその取消を求めることができるというべきである。

(二)  被告は、仮りに送還先の指定が行政処分であるとしても管理令第五十三条は訓示的規定であるからその指定につき違法の問題は生じない旨主張する。

右主張の意味するところは必ずしも明瞭ではないが、仮りに同条を訓示的規定と解すべきであるとしてもそのことは退去強制令書発付の際送還先を全く指定しないが、指定してもそれが送還先の指定として不確定であつてもよいとの必然的理由とはならないし、同条が「送還しなければならない」と規定していたとしても被告主張のように被送還国が引取を拒むことがある以上結局において送還を執行することができない結果を生ずることは同様であり、前段説示したところを併せ考えれば被告の主張を正当とすべき根拠とはなし難い。被告は(一)被告の挙示する国際法学会が外国人の退去強制につき単に被送還者を国境に連行することにより足りるとしていることを引用して、退去強制の方法ことに送還先の指定については法律をもつて定めた立法例も少なくまたそのような国際慣行も存在せず、(二)管理令第五十三条が被送還者の地位と権利とを保障する規定とすればその挙示するような不合理を生ずることおよび自繩自縛の立法となることを根拠として管理令第五十三条は行政庁に対し一応の基準を示す規定にすぎず、被送還者の地位を直接に保障したものでなく、従つて送還先の指定については違法の問題は生じないとすべき合理的根拠と主張しているが、右(一)の論拠は前段説示の管理令の精神、当該係官の職員および被送還者の権利、自由は尊重され保護されるべきであることに照し、ことに管理令第五十三条が送還先の指定に関し明文をもつてこれを定めていることに徴し諸外国の立法例、国際慣行の如何はともあれ、管理令の解釈としてはとうていこれを是認できるところではないし、右(二)については、そのような設例の場合には被送還者の希望する国に送還するよう指定もしくは再指定をすれば足り、むしろそうすることが被送還者の権利自由を尊重し保護することでもあるとさえいえるのであつて、管理令第五十三条は退去を強制される者の単なる恣意までをも尊重すべしとするものではないが、何ら被告主張のようにその本国への送還を固執する必要はない筋合である。もつとも被告は送還先につき一たん指定したならばこれを変更することができないとの前提にたつものとの疑がないでもないが、そのように解すべき法文上および理論上の根拠は存在せず、被告としては管理令第五十三条第一項により送還先を指定した後被送還国に対して照会し、その引取を拒絶されたら同条二項により送還先を指定して更に右のような照会をするという手続をとることが可能であるし、そうすることによつて送還事務もまた円滑に運ばれるものというべく、右のように解するにつき何らの不都合も存しない。被告が右に述べてきたところに思い到らず、管理令第五十三条が被送還者の地位と権利とを保障したとすれば自繩自縛となり送還事務を円滑に実施できぬから行政庁に対し一応の基準を示したにすぎぬと結論することは、行政事務の便宜、円滑な実施ということを重視するあまり管理令第五十三条第二項の運用につき被送還者に認められた「希望」という法律上の利益を軽視する嫌いがあるとさえいうことができる。何故なら、被告は、送還事務は「国際関係、被送還者の事情等を勘案し、個々の場合に最も合理的な適宜の措置」をとるべきものと主張するが、そのことは被送還者の希望と必ずしも相容れない場合を生ずるはずであるからである。よつて被告の主張は採用することができない。

(三)  そこで、進んで本件送還先の指定が違法であるかどうかを判断する。

管理令第五十三条は被送還者の国籍又は市民権の属する国又はその他の国に送還する旨規定しているところ、右にいう「国」とは国家を指称するもの即ち領土と人民と統治権との有機的結合体であるべく、単なる特定地域を指称するものではない。何となれば同条にいう「送還」とは被送還者を単に特定地域に押送するという事実行為、すなわち被送還者を国境まで連行し、国境外に追い出すことのみを意味するにとゞまらず、相手国をして収容せしめること換言すれば相手国のある渉外事務までをも包含するものと解すべきであるからである。以上の点は、被告が同条の規定する「国」に関し主張するところも必ずしも異らない。けだし、被告のいうように、送還については相手国に予め被送還者を引きとるかどうか照会するなどの手続を要するのはそのゆえであるし、送還先の指定が相手国のある処分であるからこそ被告の述べる「退去強制手続においては外交接渉による送還事務の完遂が最大の目的」との表現が可能であるからである。

右に述べたところと、管理令第五十一条が退去強制令書には出入国管理令施行規則第三十八条による送還先を記入すべきことを要求し、令書発付処分における送還先についての指定の内容が不確定の場合にはその指定処分は不適法となると解すべきこと前記説示のとおりであることとからすれば、本件退去強制令書において送還先と指定した「朝鮮」なる表現が、単に「朝鮮半島」なる地域を意味するとすれば管理令第五十一条の方式に違背するし、もしも「朝鮮半島に存在する国家」を指称するのであるならば、被告の主張するように互にみずからが朝鮮半島全部に主権を有する正統政府であることを主張する政府が二つありその名称はいずれも「朝鮮」とは言つていないから送還先としていずれの「国」即ちいずれの政府を指定したか確定することができないので、この意味からも同条の方式に違背することとなり、いずれにしてもかしある処分といわざるを得ない。そしてこのことは、単なる表現上の問題に関する形式的非難でないゆえんは、現在朝鮮半島に事実上の政権が二つ存在し半島の領域を二分して互に対立している否定し難い事実と、証人権鳳学の証言により認め得るように、日本における朝鮮民主々義人民共和国公民自治会の一員で朝鮮人連盟栃木県本部の役員をしていた原告が南朝鮮にもし送還されると南朝鮮におけ政府から北朝鮮における政府に忠誠を表示した者と目されて直ちに刑務所に収容されるおそれがあり生活に困難をきたすべき事情(同証人の証言によれば、従来そのような事例に乏しくなかつたことがうかがわれる)が存在することとに鑑み、被送還者たる原告の権利および自由に至甚の影響を及ぼすべきことが推認できるからである。

右のような理由から本件退去強制令書には「朝鮮」と記載されていて朝鮮半島における唯一の国が特定されているとの被告の主張は採用することができない。

被告はまた、原告を収容する機関として「大韓民国政府」を選ぶか「朝鮮民主々義人民共和国政府」を選ぶかは今後の執行官の裁量に委ねられた問題で指定処分とは無関係であると主張する。然し退去強制令書発布に際し送還先を指定すべきことは前説示のとおりであるのみならず、被告主張のいずれの政府を正統政府として承認し半島全部に純治権を及ぼすべき国家と認めるかは、正にわが国のなすべきことであり、わが国法上その権限ある機関の決定すべき外交上の事項であつて、退去強制における送還手続をする一執行官の決定すべき事項ではとうていあり得ないこと自明の理である以上、原告の被送還国の選択が執行官の爾後の裁量に委ぬられた問題ではないというべく、被告の右主張は採用するに値しない。しかして、他に「朝鮮」と表示してした本件送還先の指定が管理令の定めるところにより適法と認めるべき肯認するに足りる被告の主張はない。

三、以上のとおり、被告が昭和三十年五月二十四日原告に対してした退去強制令書発付処分中送還先を「朝鮮」と指定した部分の取消を求める原告の予備的請求は理由があるのでこれを認容すべきであるが、第一次の請求は理由がないのでこれを棄却することとし、訴訟費用の負担につき民事訴訟法第九十二条を適用して主文のとおり判決する。

(裁判官 近藤完爾 入山実 秋吉稔弘)

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